哲学生のブログ

哲学を専攻している大学生がいろいろ考えるブログ。

ただ気にかけてほしいだけなんだ

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気にかけるということ

ただ気にかけてもらえるだけで嬉しい。

風邪をひいていたら、「大丈夫?」と心配してくれるだけでいい。

誕生日の日に「おめでとう」と一言祝ってくれるだけでいい。

誰かの心の一部分に私が留まっているということは、それはとても嬉しいことだ。

 

「ただ気にかける」って言えば簡単なことのように聞こえるけれど、それが案外難しかったりする。

 

「お大事に」と送られてきたLINEは義務的なものかもしれないし、何も思ってないのに表面上は心配する振りをしていただけかもしれない。

誕生日を祝ってくれたのは、自分の誕生日も同じように祝ってもらいたいからかもしれない。その逆で、誕生日を祝ってもらったお返しにしょうがなく祝っただけなのかもしれない。

 

そして、これらの行為にはしてあげた」という思いが付きまとっているかもしれない。

 

だからただ気にかけるというのは難しい。

 

鷲田清一さんも似たようなことを述べている。

「わたしがあるひとのためになにかをする」ということ、そしてそれ以上でもそれ以下でもないということは、ふつう考えられているよりもはるかにむずかしいことである。 

引用元:鷲田清一『じぶん・この不思議な存在』講談社現代新書、1996年

 

ここで彼は、レインの『自己と他者』に書かれている看護師が患者に一杯のお茶を与えた場面を取り上げて語っていた。

しかし、看護師と患者との関係にこのようなことが起こるのは極めて稀であると言っていいだろう。

 

私たちが他人を気にかけている多くの場合は、その人を多少なりとも好いているのではないだろうか。(みんながみんな「彼女や彼氏がほしい」と言うのは、気にかけてほしいという思いからではないだろうか。)

 

関係が浅ければ浅いほど、気にかけるのは難しい。

 

大切なことは

大学の初日、知り合った友達とカラオケに行ったあと帰り道でなぜか虚しくなったのを覚えている。たぶんそれは、彼らの心の中に私がいなかったからというのが理由の一つだと思う。

 

大学の友達作りっていうのは「自分のため」っていう側面が大きい。友達と一緒にカラオケに行くのは、その人を気にかけているのではない。自分があとでひとりぼっちにならないように、友達を増やしたいだけなのだ。一緒にカラオケに行く人は私でなくたって、誰だっていい。そんな上っ面の遊びをしているから、虚しくなるのだ。

 

大切なことは、誰かの心の中に「私が」留まっているということ。

 

もしも誰かが気にかけてくれたとしたら、

自分ひとりに価値を見出せなくても、他人が気にかけてくれるくらいには価値があるって思える。