哲学生のブログ

哲学を専攻している大学生がいろいろ考えるブログ。

日常の喧噪がデフォルトと化してはいないか?

これは普通じゃない

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日常の喧噪。

絶え間ない自動車の行進。くだらない情報を垂れ流すテレビ。他人の視線。新商品の宣伝。満員電車。あと人々。

 

僕はそれらを遮るようにイヤホンを耳に差し込む。流れてくるのは、使い古された曲の数々。べつに、その曲が本当に聞きたいわけじゃなかった。ただ暇だから、何もしない時間が暇だから、妥協してその曲を聞いていただけだった。

 

そんな日が毎日毎日続く。

疲れた。

 

電車に乗る。ふと辺りを見渡してみる。すると、死んだ魚の目をした人々がたくさんいた。ある人はスマホを機械的にいじっている。またある人はくたびれた顔で眠りに落ちていた。

ああ、この人々はなんで無気力なんだ、と少し同情する。でもそのあと、自分もその中の一人だという当たり前の事実に気付いてハッとする。

 

自分も彼らと同じではないか。

 

でも、そんなことを思ったってどうしようもない。僕はまた、日常の喧噪に引きずり戻されるしかないのだ。

 

 

この社会には、私たちを疲れさせるものが多すぎるように感じる。時間はせわしなく動く。会社は必要の無い新商品を作り続けて、どうにかして私たちに買わせようとする。そうしなきゃ社会が回らなくなるからしょうがない。

 

私たちは、この喧噪が「普通」だと思い込む。だって、繰り返し繰り返しこの喧噪にさらされてきた。でもまじで、これは普通じゃない。

こんなに無気力な人が多いのは、こんなに疲れている人が多いのは、この社会が尋常じゃない程に私たちを疲れさせる社会だからだと思う。

 

私たちはそれに気づかない。それがデフォルト化されているから。

 

この社会はゲーセンと似ている

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先日、友人とゲームセンターに行った。100円でメダルゲームをする。数分もしないうちにメダルは無くなる。またメダルを買う。それが終わると、なにか欲しいものはないかとUFOキャッチャーの台を見て回る。欲しいものは何もない。

 

気分が悪くなる。この騒音と、淀んだ空気のせいだろう。私にはゲームセンターは合わないと思う。たまらず、「太鼓の達人をしたい」と言う友人を残してゲーセンを後にする。

 

この社会と似ている。

くだらないもので溢れている点と、騒々しいという点で。

 

ゲーセンでは気分が悪くなったら、そこから出ればいいだけだ。

でも、この社会の喧噪から抜け出そうとするなら、そう簡単な話じゃない。時間とお金と体力が必要だ。しかも、この騒音が普通だと思い込んでいた場合、抜け出そうというその発想も出てこない。

この社会は、ゲーセンと牢獄を足して二で割ったようなものかもしれない。

 

下呂温泉に行ってきた

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下呂温泉に旅行に行ってきた。旅館に着いて温泉に入って、夜ご飯を食べて、温泉に入った。朝起きて温泉に入った。

ここ最近の気だるさ(ここ最近というか、どのくらい続いてたかも分からない)が一気に吹き飛んだ。下呂温泉は、山の中にある温泉地だ。たぶんその環境が自分に合っていたのだと思う。あと温泉のパワー!!こんな清々しい気分はいつぶりだろう。

 

今、帰りの電車でこの文章を書いている。日常に戻って、すぐいつものように気だるくなってしまいそうで心配だ。あの喧噪に近づいていると思うと少し嫌気がさす。

 

いつまでもだらだらしないこと

大事なこと、日常での居心地が悪くなったら、そこから抜け出すようにする。自分に合った場所を探すようにする。

個人的には、

➀人のいないところ

➁自然に囲まれているところ

➂静かなところ

が必須条件だと思う。

 

一番やってはいけないことは、いつも家でだらだらしていること。だらだらすることは時に大切。でも、いつもだらだらしてるのは、日常の喧噪にやられている証拠。家でだらだらしていても気分が良くなることはないように思う。僕の場合は、逆に気持ち悪くなることがある。

 

 日常の喧噪がデフォルト化していると気づいたら、まずはどこかに行く計画を立ててみよう。

僕も第二の下呂温泉を探そうと思います⋯