哲学生のブログ

哲学を専攻している大学生がいろいろ考えるブログ。

また会えるはずなのに、卒業が寂しいのは

 

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先日、高校を卒業しました。

 

高校はそこそこ楽しかったけど、好きではなかった。仲の良い友達がたくさんいたわけでもなかった。でも、卒業式が終わって、打ち上げが終わって、家に帰ると、なんだか寂しくなった。

親しい友達には、会いたくなったら会えばいい。

なのに、なんで寂しさを感じるのか。

 

寂しさの理由

またいつか会える。そう思っても、寂しさは消えない。

これは、高校生活という日常が失われる寂しさなのか。うん、たぶんそれも少しある。好きとは言えなかったものの、楽しかったこともあったし、居心地がいいときもあった。あれ、もしかして、私は高校が好きだったのかもしれない。寂しさの要因の一つはそれだろう。自分の中の日常がすっぽり抜けてしまった寂しさ。

 

しかし、私の中ではもう、寂しさの理由は決まっている。

 

その理由は

またいつか会えないから。

 

「コイツ、何言ってんだ?」と思う人もいるかもしれない。でも、敬遠せずに聞いてほしい。

 

私たちは、周りの環境に左右される。環境が変わったら、私たち自身も変化する。アイデンティティなどという、不変の自分らしさがあったのなら話は別だが、そんなものどこにもない。

高校は、いつだって同じ環境を提供してくれていた。それは私にとって安心だった。また同じ友達にあえるという確実性があった。しかし大学に行ったら、みんなは別々の環境に移ることになる。

 

みんな、変わってしまうのだ。

 

そうであるならば、また会えるというのは間違いだ。私が思い描いているあの友達はもうどこにもいない。

以前の友達には、もう二度と会えない。

またいつか会おうと思ったとしても、私が想っている友達にはもう会えない。

 

久しぶりに会ったその友達が変わってしまっていたなら、それはとても寂しい。

でも、どうしようもないことだ。

 

私たちは変わり続ける

また会えるだろう。そう思うのはもうやめよう。

今の友達には今しか会えないということを心の隅に置いておこう。

そう思ったら、高校生活はかけがえのない時間だったのかもしれない。卒業してやっとこのことに気づいたか。後悔先に立たず。

 

私たちは変わり続ける。こんなことは自明だ。でも、案外見逃されている事実。

 

友達の変化を目の当たりにしたとき、私はどうするだろうか。

その変化に寂しく思うかもしれない。うまく相手の気持ちが掴めずに困惑するかもしれない。でも、そういうときこそ、私たちは変わり続けるということを思い出そう。不変の友達という幻想を捨て、その友達と向き合おう。

 

そうやって、何回も何回も友達と関係を結びなおすことによって、絆は深まっていくものなのかもしれない。今ふと、そう思った。