哲学生のブログ

哲学を専攻している大学生がいろいろ考えるブログ。

「生きる意味」の意味

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私たち(私だけかもしれない)は、「生きる意味」というワードをよく口にする。しかし、それ自体の意味を正確に理解していない。

 

『「生きる意味」の意味を説明しろ』と言われても、私は納得のいく答えが見つからない。

 

「生きる意味」

それ自体はどのようか意味を持つのか。

 

「生きる意味」を問う前にそのことについて問いたい。なぜなら、問いが明確でなければ答えを導くことができないからだ。

 

まず、私たちが「意味」を問う、一つの例について考えていきたい。

 

意味に関する問いで、私が真っ先に思い起こすのは、「勉強する意味(はなにか)」という問いである。

 

答えとしては

「良い成績をとるため」

「教養をつけるため」

「将来のため」

などがあるだろう。

 

答えの文末が「〜ため」という形であることから、このときに「意味」は「理由」を意味する。

 

そしてもう一つ重要だと思われるのが、「勉強する意味」を問うときに、私たちは「勉強」に対して否定的になっているということだ。

この問いは、私たちが「勉強をしても意味がない」「勉強やりたくない」などと思っているときにしか発生しない。

 

 

「生きる意味」に話を戻す。

 

ある行為への意味を問うているという点で、「勉強する意味」と「生きる意味」は構造的に似ている。

 

したがって、「生きる意味」とは、「生きる理由」であり、人々は「生きること」に対して否定的なときにこの問いを持ち出す、ということだろうか。

 

しかし話はそう単純ではない。

 

私がある友人に「生きる意味」を問うたところ、彼女は「生きる意味は社会に貢献することだよ。働かなかったら生きる意味なんてない。」と言った。

 

うーん。困った。新たなパターンだ。

 

文末が「〜こと」である。

どうやら彼女にとって「生きる意味」とは「生きる理由」ではなさそうだ。

 

この場合は「意味」を何に言い換えたらしっくりくるのか。

 

私は、彼女が言っていた「生きる意味」は「生きる価値」を意味していたのだと思う。

それをさらに詳しく言うと、「じぶんが生きている価値」になる。

 

そう考えると、しっくりくるのではないだろうか。

じぶんが生きる価値は、社会に貢献することだと彼女は言っていたのだ。

 

では、私が言う「生きる意味」は何を意味しているのだろうか。

 

「生きる意味」を「生きる理由」とか「生きる価値」とかいう言葉に置き換えてもしっくりこない。

 

「生きる意味」を問うときは、「生きること」に対して否定的になっている。

 

先程言ったように、このことが重要になってくるのではないか。

 

私は、「生きること」に対して肯定的になりたかったのだ。

 

そう考えると、私が言う「生きる意味」とは、「生きることを肯定させてくれる何か」なのではないだろうか。

 

まだ、「これが完璧な解だ」とは言えないけれど、この答えなら多少は納得ができる。

 

生きることを肯定できさえすれば、「生きる意味」を問うこともなくなるだろう。きっと。